

山梨英和学院は、1889年に新海栄太郎と県下有志及びカナダ女性宣教協会(W.M.S.)の協力によって設立された、山梨県内で最も長い歴史を持つキリスト教主義学校です。東洋英和女学院(1884年創立)、静岡英和女学院(1887年創立)とともに、カナダ・メソジスト教会を母体とする三英和の一つです。開校以来、「敬神・愛人・自修」の校訓のもと、神を敬い、隣人を愛し、自らを高める教育を一貫して貫いてきました。
山梨英和の歴史を静かに見守ってきた場所があります。それが1950年に建てられた「宣教師館」です。太平洋戦争後に宣教師達が再び英和に戻ってきた時、生活と働きの拠点として建てられたこの建物は、一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計によるものです。戦後の教育復興期、ここから日々の礼拝・授業・奉仕活動が広がっていきました。「個人の賜物を尊重する教育」を体現する宣教師達の暮らしがあったその場所は、英和の精神を象徴する空間でもあります。
そして2026年。宣教師館は新たに「山梨英和宣教師記念館」として改修され、「山梨英和の心が宿る場所」として歩み始めました。

1945年7月7日の甲府空襲で、当時の山梨栄和女学校の校舎はすべて焼け落ちました。戦後の復興の中、カナダから戻ったグリンバンク宣教師達の共同住宅として、1950年5月に建てられたのが「宣教師館」です。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。日本で数多くの美しい建物を残した名建築家です。宣教師館は、山梨県に唯一残る貴重な「ヴォーリズ建築」で、3本の煙突や暖炉など、当時のアメリカの住宅スタイルを今に伝えています。1950年頃のこの地は空襲で焼け野原となり、建築資材もなかった時代です。
グリンバンク宣教師は、地域の人々を招いてお茶会を行う「近所会」や戦争未亡人の支援を行う「葡萄の枝の会」などを展開し、山梨英和と同窓生などとの交流拠点としても活用、1970年までは宣教師の住宅として、1979年から2009年までは山梨英和中高の学校寮として使われてきましたが、学校寮の役目を終えた後は16年間使われていませんでした。
2025年5月。山梨英和学院は、ヴォーリズ建築様式の現存実例が希少であり、建築物の価値として貴重であること、また宣教師達が大切にした地域の人々との交流を未来へつなぐため、宣教師館の改修を決定しました。
改修は、ヴォーリズが設立した「一粒社ヴォーリズ建築事務所」が担当、外壁の色は、宣教師館のベランダから出てきた壁の色を基に再現しています。
宣教師館は2026年2月に「山梨英和宣教師記念館」として生まれ変わりました。管理・運営はNPO法人山梨英和グリンバンク会が担当し、建物を公開します。そして再び地域交流の拠点として活用していきます。
1階のホールは、イベントスペースとして広く一般の方へも貸し出しを行っております。各種展示会やビジネスセミナー、音楽コンサート、発表会、お食事会など、用途に合わせて柔軟にご活用いただけます。 ご利用料金や設備、空き状況などの詳細につきましては、お気軽にお問い合わせください。
1.初期の規律と規則を大切にした教育から愛の教育への切り替え
2.幅広い教育観で少女期の悩みや悶えに心理学的な探求を行った
3.体操服にブルーマーを導入し、体育教育の改革
4.今に至る制服の制定(1928年)
キャサリン・マーサ・グリンバンクは1891年、カナダに生まれました。1913年にカナダのマニトバ大学を卒業、1919年にトロント神学校で宣教師のトレーニングを受けます。
1920年にカナダから宣教師として来日し、1921年から1925年まで静岡英和に赴任。その頃のエピソードとして、横浜から見た富士山の秀麗さに魅了され、人力車に荷物を載せたが自分は降りたくてたまらなかったという話が残されています。
1925年の1年間のサバティカル休暇でカナダに帰国し、母親の病気の看病をしながらトロント大学神学部で学びました。トマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」を学び、愛する者を残し、キリストに倣って山梨英和に赴任することを決心します。
1926年に山梨英和女学校に赴任し、第10代および第12代の校長を歴任し、生徒達からは「山梨英和の母」のように慕われました。
第二次世界大戦中の1943年に国策によりカナダへ強制帰国。帰国先のカナダでも日系人の子ども達の教育を支えました。
敗戦後の1947年に山梨へ戻り、再び教壇に立ちました。1957年には長年の功績が評価され、甲府市名誉市民として、1958年には山梨県教育功労者として表彰されました。
1959年3月に定年で帰国したミス・グリンバンクは1983年10月14日に92歳で亡くなりました。甲府市がミス・グリンバンクを称えるために1986年に甲府市の遊亀公園に建立した顕彰碑は山梨英和宣教師記念館に移築する予定です。
ミス・グリンバンクは「私を愛してくれたようにもっと学校を愛してください」という言葉を残しました。彼女の愛の教育は今も山梨英和の心に息づいています。